今回の話も志保とPや仲間たちの雰囲気がめっちゃ良かったなあっていう話。
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大人びたイメージが強く本人もまた大人であろうと努力する場面が多いぶん、時として逆にめっちゃ妹のように可愛がられることがある志保。

オペラセリアの時もまつりや歌織は志保を構いまくっていましたが、今回の2人は彼女に対し大人の顔で接します。
今回のコミュのテーマって志保が「大人に触れる」ことだと思うんですよね。
響と歩の見せる大人の顔は、エミリーのメインコミュ第147話でも見せた察しの良さ。

ショッピングモールで志保がカフェを見ていることにいち早く気づく響。

レッスンの後にまつりから「響ちゃんと歌織ちゃんを呼ぶのです」と言われただけで次に何が起きるのか理解している歩。
志保は彼女たちとのレッスンが同い年の可奈や未来たちとのものとはまるで違ってすんなり進むことを不思議がってはいるものの、その理由が今回のメンバーは他人をよく見られる子たちであり、彼女たちの気遣いが志保を導いてくれているということにまでは気付けていません。
「見た目は大人っぽいけどまだ子供」、志保自身そう自覚しているとおり立ち振る舞いは大人と子供の狭間で揺れ動き続けます。
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1人でカフェに行ってもいいのだろうかと相談する志保

Pは「もう中学生だから行っていい。自分がどんなものやどんなことが好きなのかを知って欲しい」と答えます。個人的には中学生に掛ける言葉としてはとてもいいこと言っていると思うんですが

志保は全然ぴんと来てなくて「あ、あれ?」ってなるっていう。このすれ違いが志保の年相応な内面を浮き彫りにしていてすごく好き。
志保はまだ自分を十分に客観視できるほど心が育ってないから、他人が自分にどれだけ気を遣ってくれているかや、自分が大人への階段の入口に立っていることやその先にある可能性の大きさに気付けていないんですね。
一方で「子供っぽいこと」はそのまま「悪い」ことでは決してありません。何が自分にとって良いものか、必要なものか、まずは思春期の彼女にしか見えない景色に従って選んでみて欲しい。そうして変わっていく経験、変わっていかない経験が1つ1つ大人の階段を上ることになるのだから。
そしてPは「なにか間違いがあったときはお母さんや自分やみんなが声を掛けるから心配しなくて大丈夫」と付け加えます。

いつも傍で見守ってくれる大人が、母親の他にも大勢居てくれることが志保にとってどれだけ幸せなことであるか、恐らくその事実にも彼女はまだ気付けていないでしょう。それでいいんです、いつか大人になって今日のことを振り返ったときに自身がたくさんの大人たちに愛されていたことを知り感謝と幸せを噛みしめる。その時のことに思いを巡らせられれば、見守る大人としてはこれに勝る喜びはありませんから。
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Pほど自覚的には大人として振る舞えないまつりたちも、彼女たちなりのやり方で志保の「つま先の冒険」の後押しをします。
入ったことが無い店に入るのってどうしたって勇気が要るじゃないですか。

皆とお店でわいわいお茶した経験が次に志保が1人でカフェを訪れるときの背中をそっと押す。そうして志保は1人でカフェを訪れるという大人の経験を1つ積むことが出来ました。
メインコミュのラスト、自身の広告を見た志保が「本当の私はこんなですけどね」と気恥ずかしそうに言うのに対しPははっきりした答えを返さず、「急ぎましょう」と続けた言葉にただ「そうだな」と応じます。

広告になった自分の姿をどう受け止めるか、それもまた彼女にとっての選択の一つ。傍らに立つ者として今はただ彼女の心が起こすさざめきと波紋の行く末を見守るのみ。
14歳の少女が見せる不安定で、だからこそ瑞々しく愛おしい輝き。それを見つめる大人たちの眼差しがとても印象的なコミュでした。

























