野々原茜は何も考えていないのか?with麗花さんの話

今年は茜ちゃんの誕生日に何かコラムを書きたいなあと考えていて、そういえばまだこの話をしたことがなかったと思い出したテーマ、今日の話題は「野々原茜は何も考えていないのか」with麗花さんのお話です。

まず筆者の見解から述べさせてもらうと茜ちゃんは基本的に「あまりものを考えない子」だと思います。え?意外だった?

まあ聞いて下さい。
茜ちゃんのように話題を放るとすぐリアクションが返ってくるタイプの子って、過去の経験や体験、その時に考えたことが頭の中に綺麗にタグ付けされて引き出しに入っていて、これが来たらこれを出すというパターン分けがあらかじめきっちりされているんです。

反射的にリアクションが出るからレスポンスが早い。その場では考えない超直感タイプゆえの「あまりものを考えない子」だと筆者は思っています。

このタイプは基本的に記憶力が良いので会話に古いミームや格言が混じることが多く、投げかけられたネタに対して思わぬ引き出しを開けることがあるため「こういう捉え方もあるのか」と妙に感心させられることがあります。

パターン化は場数を踏むことでどんどん進んでいきますから、ああいえばこう言うの慣用句どおりポンポンと言い訳が出てくる叱られ慣れた茜ちゃんを口で言い負かすのはなかなか容易ではないでしょう。

では彼女が「全く何も考えていない子」なのかというともちろんそんなことは無く、むしろ感受性豊かなぶん日常の体験から非常にたくさんの経験を得られるのもこのタイプの特徴です。いつも何かしらのことを考えているから、いざ話題が飛んできたときに反射で答えが出てくるんですね。

経験値の伸びが早く人並みのことがだいたい1人で出来てしまって他人に頼らなくても用が済んでしまうため、必要以上には他人と関わらなくなってしまうことも多いタイプでありながら、彼女はむしろ抜群の社交性で自分の才能をより輝かせるための努力を惜しみません。

もっと楽に生きられるだけの力があるのに、他人と自分が楽しく幸せになるための力を出し続けられる。反射的に出てくる反応が基本的にLOVEである点も過去の経験を反芻した経験を踏まえたものであるならば、彼女の本質的な善性を象徴しているものであると言え、筆者が茜ちゃんのことを「正真正銘のアイドルの才能がある」と言うのはこのためです。

生まれ持った才能と愛嬌を糧に他の子には歩めない道を進んできた茜ちゃん。

しかしそんな彼女の顔にもわずかな影が差すタイミングがあります。
シーズンパスのメールで、彼女が今まで誰にも話せなかったという不可解な記憶についてPに相談を持ちかけてきたことがありました。

ここで返答を間違えてしまうと茜ちゃんはガチへこみします(ちゃんとオチがつく正答の方も面白いので未見で気になる方は是非シーズンパスのプレミアムメダルで解放して下さい)。

「変な子」。
頭が回りすぎるゆえに周りと足並みを揃えられないもどかしさ。幼少期というキーワードとともに彼女の脳内にはかつて「変な子」と言われ傷ついた記憶が蘇ったのではないでしょうか。

幸いなことに「普通の子」ならこんなときどうする?という模範解答をエミュレートできるだけの頭があった茜ちゃんは、あらかじめ回答をパターン化しておくことで「普通の子」としての振る舞いを身につけた・・・というのも彼女の思考パターン形成に影響しているように思えます。

ま!ね!ちょっとじめっぽい話になっちゃいましたけど、ほんの何気ない台詞からもアイドルたちの人生が感じられる、相変わらずものすごい丁寧なキャラ造形を感じられるエピソードなんですよね。

太陽のように輝く彼女の笑顔をいつまでもそのままの姿で世に知らしめるためには野々原茜は野々原茜が考えるとおりの道を進めばいい。それを支えるのが彼女に対する最善のプロデュースではないかと、個人的には思っているわけで。

なんてことを考えていたらつい先日やってきた桃子が主役のメインコミュ第159話。
作中で描かれた麗花さんの真の天才像に筆者は再び深い感銘を受けました。

様々な情報から東京大学に通っているのではないかと言われていた麗花さん。

『piece of cake』コミュで描かれた大学の風景からなんか本当に東大生なんじゃないかと話題になっていた真の天才。

第159話で桃子の舞台公演と新曲披露について、居合わせた皆が自分たちのすべきことについて思いを巡らせた中で

彼女だけはモノローグが無く、いきなり舞台への期待を口にしていました。

彼女には”心の中”が無いから? いやいやそんなわけないでしょうよ。麗花さんはあまりに頭の回転が速いせいで並の人間が思考するような間すら無く次の行動・発話に移っているんです。

彼女にも怒り悲しみ驚き笑う豊かな感情があることは我々も百も承知。しかしもし彼女の普段の顔を知らない人がこのシーンだけを見たら確かに感情が欠けているようにも見えかねないという、天才の抱える孤独の本質がさりげなく描かれているんです。

人は常に自分を物差しにして周囲を見ます。一方でスケールが違いすぎるものは物差しで測れない、分からない・・・っていうのをわざとある程度誤解する人が出るように描くことで彼女の天才ぶりに圧倒的な説得力が生まれるんですね。

麗花さんに比べれば「普通」寄りだった茜ちゃんはその利発さをもって「普通の子」の振りが出来ましたけど、1を聞いて100くらい知ってしまう麗花さんはどうやっても世界に理解してもらえないことがある。

だからこそ彼女は「普通」に憧れた。「普通の子」になりたかった。己のスピードに世界の方が着いてこられないもどかしさをずっと抱えていた少女は、自身と同じ早さで走れる大学の友人たちや、どれだけ全力で走っても果てることの無いトップアイドルへの道という夢、そしてその道を共に走る仲間を得て、ようやくありふれた普通の存在になれた。ありのまま走れるようになったんです。

12thライブで披露された新曲『irodori』の歌詞ってもう見れば見るほど北上麗花の歌詞なんですよね。「普通って名前の特別が / 今、私を彩ってる / そんな毎日が、大好きだな」ってラスト、ほんと最高じゃないですか。

麗花さんが全力で走ってもついて来られる仲間の1人、茜ちゃん。

全力で駆け回ることこそが彼女にとっての最高の甘え方。
そして麗花さんを理解し彼女を「普通の子」として扱ってくれるPにも彼女は全力でぶつかっていきます。

ひとたび全力を出せば走る道の方をぶっ壊しかねない2人ですが、それをどうにか支え取り繕うのがPの仕事。

この先も圧倒的なポテンシャルから生まれる手加減無用のステージをお膳立て出来るよう、凡人は凡人なりに全力で、向かい合ってまいりたいところです。

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