第1章『アイドルステアウェイ』の頃、ミリアニに絡めて「ミリオンライブの精神は続く」的な意味で
この歌詞を引用したことがありました。
で、今回のイベント終わって改めて歌詞付きで『I.V.』のMV見ていて
「お!?」となった話。
結論から言ってしまうと『アイドルステアウェイ』はこれから始まるSTARDOM LOAD THEATERのオープニングの曲、立ち位置は765プロライブ劇場のアイドルとして歌っているもの。
対する『I.V.』は劇中劇のキャラクターとして歌っているもので、アイドル達が自分自身として歌っているか登場人物として歌っているかの違いが歌詞に現れている形なんですけど、対照的な言葉の選び方に「普段のミリオンライブ」と「STARDOM LOAD THEATER」の姿勢が浮き彫りになっているのが興味深いな、と。
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ミリオンライブの大きな特徴の一つ、「ひとりも手放さない」。
制作側に大きな負担と制約が掛かる宣言であり、また時にはメンバーに大きな危機が訪れたこともあったこのポリシー。
だからこそ10周年という記念すべき時にミリアニとライブツアー完遂という2つの形でその精神が結実したことには計り知れない価値が生まれました。
52人のアイドルとその周辺の人々が織りなす長大な群像劇こそがミリオンライブ、11年目から始まるシリーズのトップバッターを務める『アイドルステアウェイ』は、我々がミリオンライブの心を認識を改めて確認する曲でもあったんだなと。
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・・・なんて感傷に浸っているといきなり劇中劇でぶん殴ってくるのもミリオンライブ、おう、どうした?どうした?
シリーズ第6幕『未完成のポラリス』、歌い出し美也の身を切るような声に震えつつ、リリースになったフルを聴いたら真っ正面から「群像劇に縋るのはもうやめた」ですからね。初めて聞いた時は「これ言っちゃうんだ」と驚いたものです。
最後の曲でこれだもんなあ!
“The”は世界でただ一つのものに付ける冠詞。「私こそが”世界で唯一人のアイドル”」。
アイドルの世界は何物にも代えがたい崇高な存在という共通認識は揺るぎなく抱きつつ、いつものミリオンライブと完全に逆位置へ着地する。せっかく劇中劇でもアイドルものをやるならこうじゃなくちゃな!ってのは皆思うところだったのではないでしょうか。
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第9幕のステージは第1幕と同じ階段型です。
『アイドルステアウェイ』でも歌われた「階段を駆け上がっていく」アイドルたち。
ただ、ここまでの物語を全て見た後だと「階段を駆け上がっていく」ことの意味が真珠星たちと織姫で全く違うことに気づかされることになります。
立場の違いはコミュでも触れられていて、最後の対決の前、織姫は藍に「また一緒にステージに立って欲しい」と願いました。それはそれで本心ではあるんでしょうが、叶わない願いであることは織姫も藍も心の底では分かっていたはず。
これから織姫と藍が昇ってゆく先は全く違う場所ですから、たとえ本人たちがどう願おうとも一緒に行くことはできないんです。
そういうのを踏まえると『I.V.』のステージの階段が虹色であることも、それぞれの視点で全く意味が違ってくるのが印象深いんですよね。
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何より象徴的だったのが”IDOL’s show must go on!”の歌詞。
「アイドルのステージは一度幕が上がれば最後まで続けなければならない」
これこそが織姫が今このステージに立っている理由。このパートは絶対に織姫のソロでなくてはなりません。
そしてこのフレーズ、自分はミリアニ絡みで一度触れたことがあります。
ミリアニの一番最後のカットに登場した言葉、何だったか覚えてます?
「星たちは輝き続け、そしてショーは続く」
似ているようで全く異なる2つの言葉。
片や「一度上がった幕は最後まで続けられなければならない」という1人の少女の熱情が周囲の人々の運命を変えた「STARDOM LOAD THEATER」。
片や光り輝きたいと願う少女たちの夢がスタッフや観客などあらゆるものを巻き込んでいき、全ての人の願いがステージを繋ぎ続ける「ミリオンライブ」。
見事な対比になっています。
STARDOM LOAD THEATERの最終章として、またミリオンライブの世界とは別の世界を描く劇中劇の締めとして、今回も素晴らしい楽曲がミリシタに加わってくれました。
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とにかく「強い」という感想が多かったスタローシリーズの楽曲たち。しかし物語無しではこれほど強く観た者の心を揺さぶることはなかったのではないでしょうか。
MVと楽曲に可能な限りの意味と物語をぶち込み劇的な効果を出すという点では、非常に効果的な試みだったと思います。今後さらにブラッシュアップされて様々な形で花が開くことを願っています。
STARDOM ROAD THEATERがひとまず終わったのでネタバレ含む感想をすこし
まあ、色々意見があってそれももっともなんだけど、個人的にはあれで良かったんじゃないと思うスタローの話。
織姫が考えていることが分からない、共感できないという声をよく見かけます。
自分も織姫の行動に好感が持てるかというと決してそんなことはないんですけど、彼女を突き動かす原動力には心当たりがあります。自身の残り少ない命を燃やしてまで真珠星を思う織姫の感情、それは『母性』なのではないでしょうか。
少なからず狂気的であり、また思いの強さが子にとって時として呪いにも毒にもなりうる愛の形。副業の都合、「親っていうのは子のためにあそこまでのことをするものなんですね・・・」って会話を同僚と一度ならずしたことがあり、とかく子を思う母の力には驚かされる・・・なんていう個人的な経験もあって、織姫の言動を見て真っ先に連想したのが『母性』でした。
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もう一つ自分に織姫=母というイメージを抱かせたのが『涙を知ること』ティザーMVを見てから第8幕本編コミュを見終わるまでの印象の変遷です。
歌詞に紡がれているのは親から子への、もし仮に命が尽きたとしても注がれ続ける無尽の愛。第7幕からの引きもあり、MVを最初に見た時はてっきり神宮寺から真珠星に向けた愛の歌なのかと思ったんですけど、ラストのソロパートは織姫・環の担当で歌い終わると同時にすっと後ろに下がっていくんですよね。
あれ何なんだろうと首を傾げた疑問が、コミュを読み進めるにつれまず振付の意味が分かり、そして「おいこれ真珠星に向かう矢印の出どころ全然違うとこからじゃねえか!」と驚くことになる。Clover’s Cryの逢路蘭に続いて環の演技に全てをひっくり返されるこの体験は痛快でした。
織姫が望んだからこそこの世に生を受けることが出来た真珠星。
真実を隠したまま共に成長していっても、織姫は「妹が欲しい」と言った幼い日の言葉を忘れることはありませんでした。
「お姉ちゃんだから」それだけの理由で妹に自らの持つ全てを「あげたい」と言い切る織姫の愛。実際の関係はどうあれ織姫にとって真珠星は最愛の「我が子」だった。そう考えると自分は彼女の行動は共感できるかどうかは別として理解は出来ちゃうんですよね・・・。
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一方周囲の人々は何故織姫の狂気ともいえる計画に加担したのかというもう一つの疑問。

この答えになるのが先日のエントリーでも少し触れたこの言葉です。
第9幕でも繰り返し引用されたとおり、織姫のこの言葉がスタローの物語の出発点となりました。
「妹に大好きなもの全てをあげたい」。
これはもうすぐ命を燃やし終える少女の願いであると同時に、願われた人々自身が少女にとってかけがえのない「大好きなもの」だったという大いなる感謝の言葉でもあります。
願いを叶える方法は真珠星本人の気持ちすら無視した本当に突拍子も無いものでしたが、こんな殺し文句で迫られたら果たして頼みを断れることができるだろうか、少なくとも自分は割と真面目に考え込んでしまいました。あまりにも儚く切ない願いは物語の原点として、また全編を貫くテーマとして、十分な力を持ったフレーズだったように思います。
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また物語の舞台が他ならぬアイドルの世界であったことも、スタローがミリシタの劇中劇である以上必然の選択だったのではないでしょうか。
1人の少女が生涯を捧げ、その命が尽きると悟ってからはあらゆる手を尽くして最愛の妹に譲り渡そうとした最高の宝物。

そんなの、アイドルの世界をおいて他に無いじゃないですか!
という理解のもと、スタローの舞台はスポーツの世界でも演劇の世界でもなく、敢えてアイドルたちが劇中劇の中でアイドルを演じる世界になったのだと思います。
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なんか今回の記事も環のスクリーンショットばっかりになっちゃったけど、Pの間でよく可能性の塊と言われる彼女が逢路蘭や織姫といった底の見えないキャラを引き当てたときのハマりっぷりがヤバいのほんと大好きなんですよね。
織姫の行動に好感が持てないと言いつつ、やけに理解度ばかり高めてしまうのは環のステージに魅入られているからに他なりません。
ぶっちゃけ粗もあったけれど、個人的には演出重視のノリと勢いで押していく系の話が好きなもんで大変楽しませてもらいました。
仲間から仲間へと演じ継がれていくからこそ垣間見えるアイドルたちの舞台に賭ける情熱。

シナリオと見事に調和して世界観を彩るMV。

特に美也演じる三船なるをセンターに据えた『未完成のポラリス』は正に圧巻。悲痛な叫びのような歌唱から始まるMVは総毛立つ迫力でした。
課題も見えたものの、展開12年目を目前にしたミリオンライブが未だこれほどの新鮮な驚きと感動を生み出すことが出来るのかという喜びは新しい試みに挑戦したからこそ得られたものでしょう。ハッチポッチ2ではエイプリルフールなどと共に次なるシリーズの情報公開もあるかな? 次回も楽しみにしております。