やよいがタレ目ってこれまでの媒体だとあまりそういう印象が無いんですが、ミリシタのやよいは他の子と比べてもタレ目がちになっていて、これがやよいの笑顔をとても柔らかくしています。
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身も蓋もなく言ってしまうとやよいの表情が変わったのは3Dモデルが変わったせい。
ただ、ミリシタのASはアイドルとしてはそれなりに成功している先輩であることを踏まえて深読みすると、やよいの笑顔が「柔らかくなった」ことに深い感動を感じずにはいられません。
これまでの作品ではやよいがアイドルとして成功しても、次回作になると再び貧乏に逆戻りしてしまうジレンマがありました。時代が下るにつれ若干そのあたりの表現が緩やかになり、高校に行くか行かないかなど少し話題が変わって生活レベルが改善した様子も見られますが、やはり高槻家の家計は厳しそうに見えます。
今までずっと向き合わざるを得なかった金銭的な心配から解放されたとき、やよいはどこがどう変わるのか?という疑問。公式からその明確な答えを得られる機会は恐らく無いだろうと思っていました。
・・・ミリシタが始まるまでは。
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ミリシタはアイドルとしてひとまず成功したやよいの姿を極めて長い期間見守っていられるという、これまでの作品群と比べても珍しい立ち位置の作品です。
メインコミュ第15話で既に売れっ子になっている彼女が伊織と共に劇場に現れ、そのテキパキとした立ち振る舞いは後輩たちが呆気にとられるほど。また何をするにもその場にいない家族に遠慮してしまい自分のための買い物をしているところなど見たことなかった彼女が、”LOVE is GAME”イベントコミュ中では乙女ゲームにハマりキャラグッズまで買っています。
やよいを演じる仁後真耶子さんは昔「やよいはもっとしっかりした子だったのが自分が演じているうちにふわふわした雰囲気の子になってしまった」と少し申し訳なさそうに語っていました。
ただ、結果としてではありますが「しっかりしなくちゃいけない」と常に思わなくてはならないような環境で育った子が、自らの手で成功を掴み取った末にようやく本来のふわふわした雰囲気を取り戻したと捉えると、この変化すら必要であり必然だったもののように見えてきます。
このSSRカードを最初に見たとき「あれ?やよいってこういう顔したっけ?」と一瞬違和感を感じたのち、すぐ「ああ、この子は本来こういう表情をする子だったのか」と考えを改めて以来、ミリシタでやよいの笑顔を見るのがより一層楽しくなりました。やっと、やっとここまで連れてくることができた。俺もその手助けのほんの一部くらいには貢献できた・・・のか・・・な?
10年以上ものあいだ付き合ってきたやよいの今まで見たことのない姿に覚える自分の感情が、もうプロデューサーというより父親か何かのようなものになりつつあるのが未だに自分の中で整頓できないんですけど、まあそれはそれ。
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なんてメタ的な視点からやよいとのこれまでの歩みを振り返っていました。きっかけはアイドル達がゲームのキャラになりきってその気持ちを歌う”LOVE is GAME”。
「ゲームキャラであるアイドルにこのテーマを歌わせてしまうのはギリギリでは?」なんて指摘もありましたが、普段敢えて見ないようにしている第四の壁を意識させることで逆にプレイヤーとアイドルの関係性を見つめ直させるという点で結構画期的な曲だったように思えます。
画面のこっち側から一方的に見守っていたつもりだったのが、実際にはアイドルもこっちを見ていたという歌詞、
それにこのカットのやよいの表情の変化。ここの一連の表情に上述した”アイドルマスターのやよい”の歴史が詰まっている気がして、前にも書いたけどティザーMV見ただけで泣きましたね。
本曲の作詞作曲にヒゲドライバー氏が起用されているのも恐らくは意図してのもの。氏の得意とするチップチューンの曲調、歌詞、そしてニコマスあるいはMAD全盛期にヒゲドライバー名義の曲が溢れかえっていたことを知るPには、その名前自体すらもが自らとアイドルの歩みを思い出させる鍵になります。
電源を切れば、コンテンツが閉じれば、そのキャラクターたちの新しい姿を見ることは叶わなくなってしまいます。たまに思うんですよ、そんな儚い夢を途切れることなくもう15年も見続けていられるのってものすごく素敵なことだなってね。
これからも末永くこの儚い夢が続きますように。
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