実は筆者、現代アートが割と好きです。どこかへ旅行に行ったとき現地に現代アートの美術館があれば足を運ぶようにしているくらいには好きです。
きっかけはピカソのゲルニカを見る機会に恵まれたこと。
当時はまだ現代アートに対する理解なんてものはなく、「なんか有名な人の有名な作品だしせっかくだから見とくか」って程度のノリだったんですけど、作品の前に立った瞬間にへたり込む羽目になりました。
”ドイツのコンドル軍団がスペインのゲルニカという町を無差別爆撃し多くの犠牲が出たというニュースを聞いたスペイン出身のピカソが、その怒りや慟哭を表した作品”・・・なんてくらいの制作背景は雑学レベルで知ってたんですが、もうね、絵に込められた感情ってのが凄まじくて、前に立つだけで怨念みたいな激情が襲いかかってくるんですよ。
それまで「なんか変な絵」だと思っていたあのいびつで奇怪な造形、あれこそが見る者に最も強く感情を伝える形であり、現代アートというのはそういう感情を伝え感じる芸術なんだと、そう”理解した”というより”悟った”経験を経て自分は現代アートに興味を持つようになったのでした。
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で、ロコの話。
メモリアルコミュ1で描かれているアイドルのステージに感動して茫然自失になっているロコの姿を見たとき、自分はすぐにゲルニカを見たときの記憶が蘇りました。「ああ、この子も想像だにしなかった新しい世界を突然見つけたんだな」と考えると、彼女の価値観とアイドルがどう組み合わさったのかすぐに理解できたのです。
彼女は自分のアートについて「伝わらなければ意味がない」「誰かに見てもらわなければ意味がない」と他者に見せることに強いこだわりを持っています。「自分が作りたいものが思ったとおりに作りあげられればそれでいい」という人もいますが、彼女はアートを自分の感情を伝えるための手段だと明確に捉えていることがうかがえます。
I did+I willのイベントコミュ内で、他のメンバーがロコアートを「よく分からないけど心に響いてくる」などと評したことについて、「結局よく理解されてない」なんて言われている声も見かけました。
しかし個人的にはあの評価の意味は真逆だと思っていて、アートが”言葉やリアルな造形では伝えきれない感情を伝えるための手段”なのだとすれば、作者でさえ言葉で表現できないものをギャラリーが口で説明するのは困難なはず。感じたものが言葉にならないのは意図したものを意図したとおりに伝えられたという意味でむしろ成功であり、なんだかよく分からない、しかし伝わったというのはここでは最上級の褒め言葉です。
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ただでさえ作品が難解なうえに本人に解説を頼んでもあんな感じですから理解するのにはなかなか時間がかかりますが、同僚にその魅力が徐々に理解されつつあるのは作品に確かな力がある証拠でしょう。
難解な作品は往々にして見る者にある程度の前提的な知識が無いと理解できないものです。筆者だってゲルニカの製作背景を何も知らなかったらドカンと殴ってきたものが何なのか分からず首をかしげて終わったかもしれません。
ロコアートが理解される前提として制作者であるロコ自身のパーソナリティが理解されることが必要だとしたら、その過程にアイドル活動があるというシナリオは奇抜ですが合理的、なによりとても面白い流れです。
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ピカソもそうでしたが、あくまで「よりダイレクトに見る者の心を揺さぶる」手段として奇抜な造形を選んだ結果なのがロコのアート。写実的な絵を描くのは基本中の基本として当たり前に出来るのはもちろん、シュールレアリズムやフォーヴィズム、キュビズムなどの表現技法も抑えているらしいことが他のアイドルたちの発言から窺えます。
「ロコは芸術の基礎がちゃんと出来ている」というところまではPちゃんたちの常識であるものの、「では何故突拍子もない作品ばかり作ろうとするのか」についてはあまり突っ込んで話をされることがなくもったいない気がするので、半分自分語りのようなものを長々書いてみました。
ロコ本人から具体的な芸術感が語られることってあまりない(ロコ語なせいでこちらが理解できていないだけかもしれませんが・・・)んですけど、ライター陣のこのあたりの意思統一はしっかりしているらしく作中のロコのスタンスはかなり一貫しているのでこのへんに注意してみるとちょっと面白い発見があるかもしれません。
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