アイマスMVの一つの到達点として流星群を語る

自己紹介のとこにも書いてますが自分はアイマスMV大好き系Pで、XBOX360版アイドルマスター発表の際のGO MY WAYのMVに衝撃を受けて箱を買いに走ったクチです。

第一作から一貫してMVのクオリティを追求するアイマス作品にあって、ミリシタのMVは過去作とは違うルールで演出されている箇所が多く、今までの作品をプレイしているとアプローチの違いも含めて楽しめる作品になっています。

流星群に関しては実装前からPの期待値が段違いに高く、2周年を目前にしてどうやってこのハードルを超えてくるのかが注目の的でした。ただグリマス時代はほとんど追ってなかった自分は、過去作もできるだけミリシタのゲームベースで触れていくスタンスなので「とりあえずなんかすげーのが来るんだろうな」くらいの感覚だったんですが・・・。

初めて見た瞬間に泣きました。比喩でも何でもなく本当に涙が出ました。
10年以上にわたって追い続けてきたCG作品としてのアイドルマスターMV、その一つの到達点を見た気がしたのです。

振り付けが全く違う2バージョン同時実装、ギターモーションのコードまで再現といった部分は既に多く語られていると思うので、それ以外の部分で自分の見た流星群の素晴らしさを語らせてもらいたいと思います。

まず振り付けの違う2バージョンについて、ここでは仮にギター弾き語りの方を専用バージョン・もう一つの方を共通バージョンとさせてもらいますが、振り付けだけでなくカメラワークも完全に別物です。本当に丸々2曲分の手間暇が流星群1曲に費やされているのです。

それぞれの違いを大雑把にくくると、専用バージョンがリアル志向、共通バージョンがCG志向とでも言えましょうか。

最初に言ったCS作品とミリシタの大きな相違点の一つがカメラの動きの違いです。CS作品のカメラの動きはおとなしめで、昨今の現実のライブビデオの方が動いてんじゃないかと思うこともあるくらいです。

これには一応思い当たる理由があって、特にアイマス2以降の曲振り付けはステージ移動が中国雑技団かってくらい凄まじく、あまり激しくカメラを移動・切り替えするとMV全体がごちゃごちゃになってしまうという問題があります。

例えばミリシタでも実装されているREADY!!などは振り付けがCS版と共通のままカメラワークが一新されていますが、そのカメラワークも他のミリシタMVと比べるとかなりおとなしめです。なんでもかんでも動かせばいいというわけではないということです。


ただ、これはあくまで適材適所の例であって、「先ほど述べたうちのリアル志向がこれです」という話ではありません。相変わらず前置きが長い!

「どうせCGなんだからもっともらしい顔をしてとびきりの嘘をついて欲しい」が自分のアイマスMVに求めるところ。CSの”嘘”が実演不可能なほどのステージワークなら、ミリシタの”嘘”はカメラワークです。

流星群・共通バージョン冒頭でも使われているカメラがジュリアを中心に一回転するのもカメラワークの嘘の一つで、ライブ中にあの高さでカメラを一周回すなんてことはドローンでも飛ばさないと無理でしょう。

しかも騒音の問題があったり、衝突や落下の危険があったり、あんなスピードで回転できなかったりで実現するには非常に困難が伴う動きです。

対してジュリアのドアップから始まる専用バージョンでは画面が若干揺れ続けていることに真っ先に気付くはずです。手ぶれがあること自体アイマスMVの中では極めて異例・・・というか自分が知る限り初めてです。異例ずくめの流星群専用バージョン、普段のルールは脇に置いておいてリアルに徹したライブMVを作る、制作陣の本気がいきなり伝わってきます。

映画などでは手ぶれは観客に臨場感を与えるための表現技法とされます。
ジュリアのアップから始まる専用バージョンの流星群も恐らくはそれを意図しており、それ以外にも普段Pたちが自分たちを投影するであろうサイリウムを振る観客席を、流星群ではほとんど映り込ませないことで視聴者の心情的な立ち位置がジュリアそのものになるよう誘導されています。

こうして視点がジュリアそのものになったところでバッと真っ赤に染まった観客席が映ります。
リアルに徹するポリシーからは外れるカットですが、「アイドルになったジュリアが見た世界」が強烈な印象となって伝わってきます。

観客席が映るシーンは「未来」「道」といったフレーズに合わせた暗示にもなっています。
こういうアイドルそのものの視点から描いたMVというのもアイマスMVとしては珍しいものです。

手ぶれ以外のカメラワークも「よく考えたらこれどっから撮ってんだ?」というアングルがほとんど無く、アングルのバリエーション自体が限定的で恐らくここに1カメ、ここに2カメ・・・と設定したうえでMVを制作したであろうことが窺えます。

CGであるがゆえの”嘘”にについて暗黙の了解があったこれまでのMVに対して、専用バージョンはコードを抑える指先からカメラアングルに至るまでリアルに徹しているのがおわかりいただけたでしょうか。

これらの表現によってもたらされるのがライブの圧倒的な熱量で、自分は当初その原因が分からず、初めて専用バージョンの流星群を見たときただただ打ちのめされるばかりでした。

異例ずくめの流星群。
アイマスMVは遂にこういう表現も出来るまでに至ったという到達点だと自分は感じました。えらい長い記事だなこれ、誰か読むのか?

最後にもう一つ小ネタ。
いくつかの傍証から、ジュリアはアイドルマスター2開発時の没キャラだという説があります。

そして今回流星群で使われたステージはアイドルマスター2時代に使われていたものがモチーフ。

あのとき立てなかった舞台に今彼女が立っている。
これもまた制作者の粋な計らいだったのかもしれません。

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