ミリアニに「曇らせ」はあったのか?必要だったのか?

なんか見かけた話題の出所が良く分からないんで単なる便乗トーク、ミリアニにおける「曇らせ」の話。

個人的な結論から言っちゃうと「曇”らせ”」はあったと思うんですよ、ただ、ミリオンの子たちが「曇らなかった」だけで。

一番分かりやすいのが第8話で、以前もこれ書いたんですけど、まずデビューイベントの会場へ行ってみたらステージが使えない状況、代わりのステージには穴が空いてるわ誘導は貼紙1枚だわと現地の対応はとにかくいい加減。結果彼女たちを目的にやって来たファンは1人もいないという。

「これ・・・開演してるん・・・?」と奈緒が震えた声で言ったところで場面転換が入るんですけど

次に出てくるのが「そらしてるわなー!」と机に向かってずっこける奈緒。
続けて”何故か”コロッケを差し出してくる千鶴、猫まで観客の勘定に入れようとして突っ込まれる亜利沙・・・と、普通なら完全に曇っていく流れをギャグにして畳んでしまい、ここでミリアニは作劇上「曇る」ことを明確に拒否しています。

現場のいい加減な対応の描写は更に積み重ねられていて

メンバーは6人もいるのにお茶はでかいペットボトルで一本しか出してこないので飲み物は自腹。本当にボロクソな状況なんですけど彼女たちは全く応えていません。

彼女たちがへこたれない理由はあらかじめ明確に提示されており、それはつまり

メンバー全員がアイドルのステージに対して圧倒的な夢と憧れを抱いているからであり、

またデビュー前から小さな努力と成功を既に着実に積み重ねているからでもあります。なによりそんな仲間たちが自分たちのすぐ隣に38人もいる、これこそがミリオンライブならではの力。

それでも心が折れそうな子がいたら、脇からすっとフォローするのがPの役目。

そうやってまた立ち上がった子が今度は周りを鼓舞して引っ張っていく。ピンチをチャンスに変える理想的な流れはまた、「ステージへの憧れを力に突き進むアイドルたちと、それを支えるP」というアイドルマスターシリーズ普遍の姿でもあります。

一方彼女たちがただ脳天気ゆえに明るく振る舞っているわけではないことも、物語のかなり早い段階でミリオンライブの中軸である未来に託す形で描かれています。

夢を見つけられない自分。

自分の提案のせいでみんなの心をバラバラにしてしまった自分。
今がんばるだけでは解決できないトラブルに直面したときは歩みが止まり、思い悩む。そういう感性をミリオンライブの登場人物だってきっちり持っている。

メンバーの中で一番調子がいいように見える茜ですら、周りの空気に焦ったり慌てたりすることがこちらも複数のシーンで描かれ、彼女たち全員に豊かな感情があることを補足・強調しています。

ここで引き合いにされているのが「ちゃんと」未来と茜になっているところ、そして上述のシーンを第1幕のうちにきっちり描き説明し終えてしまっているところ、これだけ見てもミリアニシナリオの恐ろしいほどの作り込みは十分感じられるのではないでしょうか。

シナリオを書くうえで山と谷はもちろん絶対的に必要な存在であり、谷の部分をどう乗り越えていくかの描写は作品の性格そのものです。

アイドルに限りなく憧れ続ける少女たちと、それを影ながら支えていくPの努力を翼にして圧倒的な勢いで困難を乗り越えていくのがミリオンライブ、その意味でミリアニで描かれたミリオンライブの世界観描写は本当に見事なものだったと思います。

素材の味は十二分に出し切れている、となると後は食べる側の好みの問題だからね。俺はすごくよく出来てると思うよ、この作品。

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